長男10歳余命9ヶ月

後悔しないために

後悔しないために・・・

堅太朗が旅立って4年近く経ちますが(2016年4月現在)、そこでわかったことは、
どんな選択をして、どんな風に過ごしても、
何かしらの後悔は絶対にあっただろうということです。

亡くなった当初は親として治療の選択に問題があり、
余後の生活の質を下げ、早く逝かせてしまったと、自分を責め後悔したものでした。

koukai

今でもその気持ちはあるのですが、
同じ経験をした親御さんやグリーフケアで病院関係者と話をする中で、
少しずつその気持ちは薄れてきました。

このページでは私の経験を通して、
現在闘病中のご家族に是非参考にして欲しい内容をまとめました。
ああすれば良かった、こうすれば良かったと思う気持ちは絶対に残るので、
その思いを少しでも少なくして欲しいと思う気持ちでこのページを作りました。

QOL(生活の質)の大事さと治療の選択

「余命9ヶ月です。助かる治療方法はありません」

このように医師に告げられたものの、
「うちの子は絶対助かる」「何か治療方法はある」「うちの子だけは違う」と、
そう思い、医師の言うことを受け止められませんでした。

先日グリオーマの会で同じく闘病を終えた親御さんにもどうだったか聞いたところ、
やはりみんなそうだったと言っていました。

私の場合はかなり医師の言ったことが理解できず、
自由診療の遺伝子治療を選択し、
一般的なこども病院でのリニアック放射線治療を選択できませんでした。

遺伝子治療は放射線治療のみを自由診療で行い、
一般的な吐き気や麻痺など全身状態の観察、
薬の処方などは主治医がいる病院で行うという方法でした。

主治医は遺伝子を併用した放射線治療については全く未知の方法なので、
全て自己責任でやるという条件で承諾してくれました。

始まる前から大変なことだとわかっていたので、
何か双方のコミュニケーションで不具合があれば、
自分がその穴を埋める強い覚悟を持って始めたつもりでした。

しかし、いざ始めてみると30km離れた双方の移動は本人にとって負担だったし、
自分が考えている事情と異なり、そう簡単にいくようなものではありませんでした。

3クール目に入って呼吸困難になり、主治医のいる子供病院へ入院することになりました。
そのため遺伝子治療は諦めざるを得ない状態になり、その後の放射線治療はリニアックで子供病院で実施しました。

tasogare

子供病院に移動してしばらく経ってから、

「始めから子供病院で治療したかった」とポツリ本人が妻に言ったそうです。

それは子供病院に医師、看護士だけでなく、ソーシャルワーカーやリハビリの先生、CLS・・・
ら沢山のスタッフがいて、工作のベントやピエロが来たり、
病院で生活の質を少しでも高める体制があって、
辛くて苦しいなりにも楽しいことがいっぱいあったからなんだろうと思いました。

それからしばらく経ち退院してからは、病院へ行き先生やスタッフに会うのが本人のひとつの楽しみになっていました。
メイク・ア・ウィッシュでUSJへ旅行へ行ったときにも病院関係者に「お土産を買いたい」と言って、
沢山お土産を買う程、病院スタッフが好きになっていました。
6月になって高熱が続き、病院へ行けなくなったときは、
「病院へ行きたい、みんなに会いたい」
と言っていたものでした。

結果として私が選択した遺伝子治療は本人の余後の時間を無駄にし、
生活の質を下げてしまったことになりました。

この病気と診断され、治療を選択しなければならない親御さんには、
是非私たちの経験談を参考にして欲しいと強く思います。

"時間を大事に使い、生活の質を高める"

最も重要なポイントです。

本当にこの病気は難しく、冷静に事実を受け入れ、
対処していかなければならないことを考えて欲しいと思います。

本人への病気告知について

「ママ、僕死んじゃうの?」

悪化していく自らの身体状態から予後を察し、
妻とおばあちゃんに聞いたことがありました。

本人には余命や予後のことは隠していましたが、
予想以上にいろんな人から励ましのメッセージが来たり、
1万羽以上の千羽鶴が方々から送られてきたり、
いくら病気であってもスペシャルなことが多く、
必要以上の異変を感じたのでしょうか?

身体は麻痺のため次々と動かなくなり、
悪くなっていったこともあり、
自分で気付いていたようです。

欧米では10歳にもなれば本当のことを話すのは普通のことのようです。
しかし我々は最後まで本当のことを告知しませんでした。

亡くなって数ヶ月後、お世話になった子供病院で脳腫瘍患者の茶話会がありました。
このときCLS(チャイルド・ライフ・スペシャリスト)さんが出席していたので、
改めてどうすべきだった?欧米ではどうされているか?聞いてみました。

(CLSとは堅太朗のような子供にどのように接するべきかを専門に学び、
アメリカで資格取得できるプロの保育士のことです)

家庭の環境やその子の性格によってケースバイケースですからと前置きはありますが、
とても印象に残っているコメントを紹介します。

「例えばパパやママでさえ明日生きているかどうかわからない。
地震や火事で死んでしまうかもしれない・・・」

「この前も東北で地震があって沢山の人が亡くなったよね?」

「堅太朗も同じことで明日何が起きるかわからない・・・」

「でもね、何があっても堅太朗はパパとママの子だよ!いつでも見方だしずっと一緒だよ!」

「そう言ってお子さんを強く抱きしめてあげる。」
「こんな接し方はひとつの例ですよ!」

とアドバイスしてくださいました。

私たちは堅太朗には「治るよ!」、「今は辛抱だよ!」
この質問に対する答えを予め準備することはなく、
聞かれたときにはこんなふうにしか答えることができませんでした。

しかし5月になるとこういう質問はしなくなりました。
後でわかったことですが、こういう質問をして、
私たち両親を悲しませたくなかったからだそうです。

なぜそれがわかったか?
それはMAWJ(メイクアウィッシュ)の方から、
葬儀のとき話を聞いて知りました。

堅太朗がMAWJの旅行で飛行機を乗るのを決めたのは、
"天国がどんなところか見るため"だったと教えてくださいました。
しかしそれを私たち両親に知らせると、悲しむから絶対に言わないでと口止めをしたそうです。

実際に飛行機から見た空の写真

その話を聞かされ、
堅太朗が自分の予後のことを知っていて、ずっと死と向き合い、
不安の中限られた時間を過ごしていたことを想像しました。
そう考えると本当に無念で涙が止まらなくなりました。

それにも関わらず、
できるだけ現実を避けるような接し方をしてきた今までの対応が、
本当に良かったのか?疑問を感じました。

「何があってもずっと親父だからな!(天国でも)どこへでもずっと一緒だからな!」

こう言って抱きしめてあげることがどうしてできなかったのか?
アメリカのように本当のことを告知しないまでも、
それはやっておけば良かった。

もっと息子の立場になって死と向き合うことがどういうことなのか?
考えてあげられなかったことが悔しいです。

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