長男10歳余命9ヶ月

2011年12月

2011年12月 病院探し

2011/12/3 MRI検査(日本医科大学北総病院)

11月になって堅太朗はものが二重に見える、耳が聞こえないなどおかしなことを告げるので心配でした。一体どこが悪いのかわからずじまいでした。

眼科や地元の東船橋病院を回り、最後は行きつけの小児科に紹介状を書いてもらい、北総大学病院にMRIを撮りに行きました。 画像を撮り終えた後、北総大学病院の先生はただ"腫れている"と・・・何がどう悪いのかはっきり言わず、"千葉県こども病院に紹介状を書くのでそこへ行ってください。"と私たちに告げました。

画像の説明

この日の夜・・・CD画像を家のパソコンで見ました。
その画像をWebで調べたところ、恐ろしいことが書かれていました。

余命がどうのこうの、1年以上生きられる可能性が50%など・・・・。
何かの間違いじゃないか?・・・宝くじを買って当たるかどうかのような、何万・・・何十万分の一の確率でかかる病気がうちの子にかかるはずがないと・・・妻と話しました。

2011/12/5 余命9ヶ月の宣告(千葉県こども病院)

忘れもしない12/5、妻は堅太朗を連れ、
紹介状とMRIの画像を持って千葉県子ども病院に行きました。

画像の説明

始めに本人と妻が後に主治医となるI先生からこれまでの経緯について問診を受けました。
その後歩行にふらつきがないか?ペンを左右に持ってそれがどのように見えるか?などの質問されました。

一通りI先生の診断が終わると、堅太朗は看護師さんに別の部屋へ連れていかれ、妻一人がI先生の部屋へ取り残されました。
先生は脳の構造を説明し脳幹の絵を書き始めました。
そしてその脳幹が脳のどの部分にあるのか?どのような機能なのか?丁寧に話してくれました。

更にその腫瘍はびまん性と言って脳幹組織そのものにがんが浸み込む極めて悪性のものであることを告げ、取り除くことはできないと説明されました。

病名は「脳幹部神経膠腫」・・・。
末期の寝ている状態を含め余命9ヶ月と宣告されました。

どこか不具合があるのは覚悟してましたが、こんな最悪な宣告を受けるとは想像していませんでした。

この日堅太朗の学校を休ませたことにより、5年生の12/3まで学校を休まず皆勤だった記録もここで途絶えました。

2011/12/6 受け止められない宣告

私たちは堅太朗の診断結果の現実を受け止められませんでした。これだけ医療が発達しているのだから、どこかで何か方法があるだろうと?それが海外だろうがどこであろうと・・・取りあえず、子供病院の診断が間違えであることを祈り・・・すぐに病院回りの計画を立てました。

きっと何かいい手立てがあるのではないか?

医療関係に努めている友人らに事情を話し、いい先生を紹介してもらうようお願いしました。海外の治療情報も集めるためにNCIのサイトも調べました。北海道の小児脳外科医で有名な澤村豊先生にもどうしたらよいか、藁にもすがる思いでMRI画像を添付してメールを書きました。

しかし、セカンドオピニンオンの予約は早くて三日後、遅ければ一週間以上、新規の外来受付も紹介状がないと受け付けてくれず、本当に思うようにいきませんでした。

当の本人はふらつきがひどくなり、トイレに行くにも壁をつたって何とか行けるような状態。これからどうなるか本当に不安でたまりませんでした。

2011/12/7 再び子供病院へ

妻が聞いてきた診断結果が本当のものか? それを確かめるためにじじばばを連れて病院にやってきました。 例のMRI画像を見せられ、説明されました。じじばばは先生の説明を聞いて泣いていました。私も泣いていたと思います。 こんなに大それたこと、ひとつの病院で決められるのは納得がいかないので、調べてきたふたつの病院に紹介状を書いてもらいました。ひとつは有名な脳外科医福島孝徳先生の開業した福島記念病院、もうひとつは脳外科治療で有名な東京女子医大付属病院・・・・

2011/12/8 福島記念病院へ

セカンド・オピニオンを求めてゴッド・ハンドで知られる脳外科医、福島孝徳先生が開業した福島記念病院へ行きました。

福島記念病院

小児脳外科医の酒井先生にMRIの画像を渡し診断してもらいました。
何か朗報を聞けるのではないかとわずかな希望に反して"残念ながらこの病気は放射線治療しか治療方法がなく、福島先生でも治せません"と断言されてしまいました。
堅太朗は廊下で放映されている、福島先生の外科手術の生々しいビデオをじっと見ていて、自分もこのような手術をしなければならないと感じていたようでした。

因みに 福島先生は海外を飛び回り、忙しいようで、この病院にも年数回しか来ないようです。

2011/12/9 小児脳腫瘍治療の権威澤村先生からメール

この日澤村先生からメールが来ました。 "放射線治療を行うべき腫瘍です。ですから,治療施設を移ってもあまり利益のないものです。"と・・・・

12/9の様子

2011/12/11 埼玉の実家へ

私たちも堅太朗も病院回りで大分疲れていました。
残された妹らのことも考えてこの日、家族で実家に遊びへ行きました。

実家でいとこと

ばばは堅太朗の好きなものを沢山作ってくれました。
堅太朗は幼稚園年長の従兄弟と、いつも通り廊下でサッカーをして遊んでいましたが、体が思うように動いておらず見ている私はとても心配でした。

2011/12/12 船橋医療センター

船橋医療センターの副院長が脳神経外科の先生で妻知人の知り合いでした。

紹介状を書いていただいたので、この日診察に行きました。 この先生は堅太朗の診察を優先してくれて、他の患者さんを待たせて息子の診察にあたってくれました。

画像の説明

しかし、この病気は非常に特殊なものらしく、ここでは何の治療もできないと言われてしまいました。

ゴッド・ハンドの福島先生からメール

また、この日ゴッド・ハンドの福島先生からメールが来ました。

「 脳腫瘍には50種類もの様々なタイプがあり、悪性、準悪性、良性で予後が異なります。 脳深部や脳幹の種類、悪性腫瘍は限局性の小さいもの、脳幹の外へ伸展しているもの以外、 殆どの場合は私の手術でも全摘出、全治は叶いません。 お気持ちは十分に伝わってきましたが、現状では私の手術がお役にたてる ケースではないと考えます。お力になれず申し訳ありません。 長い療養になると思われますので、何とか地元の先生方に頑張っていただいて下さい。

2011/12/13 同級生のお見舞い

この日堅太朗の友達が遊びに来ました。堅太朗は学校を休まない子だったので、みんな心配して家に来てくれました。我が家はみんなのたまり場になっていたので、友達も遊び場がなくなって、つまらなくなっていたのもあると思います。

同級生のお見舞い

2011/12/14 腫瘍相談外来

知人の紹介で地元の病院に腫瘍相談外来があるのを知りました。
知人がその外来の予約をしてくれました。

画像の説明

がん腫瘍の治療で有名なM先生の診察を15:30から受けました。

私たちは今までの経緯を報告した上で、息子にとって治る可能性のある病院を紹介して欲しいと相談しました。
診察の後、M先生は西船橋にある放射線治療施設に紹介状を書いてくれました。

2011/12/15 東京大学医学部付属病院

妻の知人が東大小児脳神経外科先生に紹介状を書いてくれました。この日、堅太朗は本調子ではないため、一緒に連れていくことができず、代わりに私が代理受診を受けに行きました。

東京大学医学部付属病院

東大はものすごく大きくて、どこで受け付けていいのかさっぱりわかりませんでしたが、紹介状を書いてくれた方が親切に受付番号、受診ルートを書いてくれました。 始めに先生に画像を見ていただきましたが、やはり特殊な腫瘍だそうで、小児専門の先生と一緒に見ていただきました。ここでもやはり東大での治療が有効とは限らないそうで、地元の病院で診断を受けるよう勧められました。先生の取り計らいで放射線科の診察を午後受けることになりました。 午後、放射線科の先生の受診を受けましたが、東大での放射線治療が有効というわけではないようで、やはり地元の病院で治療を勧められました。

写真は私が代理受診から帰ってきたときの様子です。
目を休めているところ

2011/12/16 東京女子医大キャンセル

脳腫瘍の治療で有名な東京女子医大でセカンドオピニオンを聞くため、12/7に子供病院主治医から紹介状を書いてもらいました。 しかし本人はこの日も調子が悪く出かけられるような状態ではありませんでした。

本人がいなくてもセカンドオピニオンは聞きに行くことができますが、きっと前日の東大と同じようなことになるだろうと、当日の朝セカンドオピニオンをキャンセルしました。

2011/12/17 病院選びで二週間

とても悩みました。

どこへ行っても通常の放射線治療を勧められ、それは病院を変えても然程効果は変わらないと言われました。

いろんなホームページを探し調べました。

Yahoo知恵袋や、関連のHPにいい病院がないか尋ねました。
それでも、期待できる情報は得られませんでした。
病院選びでもう二週間経過しもうすぐ年末年始、私たちは焦りました。

2011/12/19 クリニックC4

12/14ふたわ診療所の腫瘍外来M先生から紹介のあったクリニックC4に私が一人でセカンドオピニオンを聞きに行きました。

画像の説明

このクリニックは外科手術ができない、腫瘍治療を行っている放射線専門施設で、いくつかある放射線治療のなかでトモセラピー治療を採用し、かつ遺伝子治療を併用している大変ユニークな治療方法を実施する医院でした。

院長のA先生から言われたことは今でも鮮明に覚えています。

「この病気は普通の放射線治療を行っても平均余命が1年位であまりにも成績が悪すぎる・・」

「もし自分の息子が同じ症状だったら、遺伝子と放射線を併用した治療にかけてみる・・・・」

明るいきざしが差し込んだかのように思えましたが、遺伝子治療方法で余命が伸びたり、助かったデータがないことを言われました。中国ではデータがあり助かった人がいるように書かれていますが、信用できるものではないと・・・

また2000年代前半、この臨床試験をアメリカで進めたものの、事故が発生し試験は止まっていているとも告げられました。

それぐらいこの種の脳腫瘍においての遺伝子治療データが少なく、新しい挑戦になると言われました。

早速これについて調べ、インターネットの掲示板を通して相談もしました。
が、消極的な回答ばかりでした。

小児脳腫瘍で権威のS先生からも「実験台にさせるようなもの」と厳しいメールの回答。小児脳幹グリオーマの会のT先生からも「不必要な副作用や合併症に苦しんでほしくない」というアドバイスでした。

私はやはり息子の余命を受け入れ、こども病院で治療を行うべきと・・・帰って妻に自分の意見を話しました。
そして、この時点で一番期待していた国立成育医療センターのセカンドオピニオンに(翌日予定)行って、最終的決断をしようと決め、遺伝子治療は少し保留してもらうようにしました。

2011/12/20 日本最大の小児専用病院国立成育医療センター

念のため前日の遺伝子治療の選択を考えて、御茶ノ水まで特殊MRIを撮りに行きました。
(この時点で年末最後の1週間で1クールの治療を目標にしていました。)

メディカルスキャンニング御茶ノ水

特殊MRIというのはコンピュータでどの部分に放射線を照射するかを特定するための特殊撮影だそうです。小児の場合、放射線をあてられる合計数値は50グレイなため、腫瘍の状態を見てどのように照射するのか分析するそうです。

ハードスケジュールでしたが、午後予定通り日本最大の小児専門病院、国立成育医療センターに行きました。M先生と言う有名な先生がいて、是非診てもらいたいと思っていたからです。
ここでの予約を取るのにずい分時間がかかったと記憶しています。
妻とはここでの診断を最後にどこで治療するかを決めることにしました。

国立成育医療センター

先に何人かの先生に所見してもらい、最後にお目当てのM先生が登場しました。どの位置にあるとものが二重に見えるのか?まっすぐ歩行できるか?色々診察していただいた後、しばらくして私たち親だけまた先生の部屋へ呼ばれました。

「皆さん全国から治療をしたいと、ここへ訪れます。しかし、この病気は病院や医師を変えることで予後が良くなることはなく、どこで治療しても同じです。地元の病院で治療して下さい。」最後のお目当ての先生にまでも同じことを言われ、私たちの期待はまたもや裏切られる結果となりました。

写真は成育医療センターで診察が終わり、病院内で弟と・・・

診察が終わり地下のオープンスペースで

2011/12/21 久しぶりの登校

久しぶりに学校へ行きました。

クラスでお楽しみ会を開催し、その場で堅太朗の激励会をやってくれました。
病気がわかってからずっと学校へ行けなかったので本当に久しぶりでした。
残念なことに・・この後学校へ行ったのは翌年の退院後と運動会の二回のみとなってしまいました。

お楽しみ会の様子

今振り返ると・・・もう少し無理してでも学校に行かせるべきだったか考えてしまいます。

遺伝子治療の選択

クリニックC4での治療を決めたものの、問題がふたつあります。

ひとつは受け皿になる病院を探すこと。クリニックC4は放射線治療専門施設で病院ではないため、全身状態や薬の処方等、全体を管理する病院を探さなければならない。 クリニックC4が提携している病院は松戸にあるが、小児は対象ではないこと。更にクリニックC4では小児の脳腫瘍治療実績がない。

ふたつ目は、C4は自由診療、保険が適用されない・・・。貯金を全てつぎ込み、不足分は親の援助をもらいこれは何とかクリア。

私たちはこれらの困難を覚悟でC4の放射線治療をすることを決めました。

この日早速放射線治療で使用するお面を作りに行きました。 放射線治療は元々害のあるものなので、正常な組織に放射をさせないためにしっかり頭を固定する必要があるため・・・

受け皿になる病院が見つかっていない、年末年始にかかる前に早く治療開始したい。 私たちは焦りました。 妻と手分けして今まで診断に行った病院へ。妻は船橋医療センター、私は二和病院へ。 医療センターでは予約もないので門前払い、急遽先生の知り合いに電話して面会してもらうことができました。 しかし医療センターは救急治療を専門にしていて、かつ小児脳腫瘍の治療実績が乏しく断られました。 二和病院はC4を紹介したM先生がちょうど帰ってしまったところで、看護士にお願いし連絡を取ってもらったのですが、面会できませんでした。

結果としてこの日受け皿になる病院を探すことはできませんでした。

2011/12/22 午前C4、午後子供病院へ

午前中、正式に治療をお願いするためクリニックC4に行きました。 事務長から受け皿になる病院は見つかったか?と問われましたが、まだ見つかってなく、午後子供病院へ行くのでそこでお願いする旨を伝えました。

院長のA先生からは、この治療方法で病気と闘うのであれば、親の力を発揮しきちんと受け皿になる病院を探すよう大変厳しいことを言われました。

すぐに子供病院へ移動し、のちに主治医となるI先生に遺伝子治療をしたい旨の話をしました。

主治医のI先生はクラークさんに頼んで、クリニックC4のことを予めWebで調べていてくれました。

こども病院では遺伝子治療の経験もなく、どのような治療なのかよくわからないため、この治療を行うために病院側がきちんとサポートができないこと、しても何もメリットがないことを私たちに説明し、散々止めた方がいいこと私たちに説明しました。

私たちは今まで苦労した経緯と遺伝治療に懸けてみたい思いを先生に訴え続けました。クリニックC4からの治療方針の書かれた紹介状は薄っぺらい紙で情報が乏しく、I先生からの質問についてわからないことは、その場で携帯電話でクリニックC4に電話をしながら、 ひとつひとつ問題をクリアにしていきました。

たとえば遺伝子治療と併用して行う抗がん剤(テモダール)のことやらなんだかんだ・・・

結果として先生が折れて、クリニックC4での放射線治療を認めてくださいました。

2011/12/23

病院も決まり、少しほっとしました。

絶対この治療で堅太朗を助けるんだ!!!
と強い思いを持っていたのを覚えています。

例年であれば12/23は仲間とうちでクリスマスパーティーですが、堅太朗に聞いても今日はやめてとく・・・と言うので、みんなに連絡して、違う家でパーティーをやってもらいました。

後でわかったのですが、みんなは堅太朗のためにメッセージを書いたり、千羽鶴を折っていたそうです。

2011/12/24 クリスマスイブ

堅太朗は家で療養・・・クリスマスイブの日、私はずっと時間がなかったのでクリスマスプレゼントを買いに出かけました・・・

堅太朗にはインターネットで何がいいかを事前に調査・・・兵隊さんのレゴブロックにはまっていたのでそれを買いに出かけました。

2011/12/25 クリスマス

写真は妹とクリスマスケーキを作っているところ。
複視のためだいぶものが見えずらい様子。(午前中)

ケーキを作っているところ

夕方、野球チームの監督、コーチ、選手がお見舞いに来てくれました。
チームが大会で優勝したので、登録メンバーである堅太朗にもメダルをもってきてくれました。

野球チームのみんなと

2011/12/26 いよいよ放射線治療

遺伝子治療はP53と言って(正式にはGendicine)遺伝子ウィルスを点滴で身体に入れ、体内にそれが行きわたる2時間後に放射線をあてる治療法。

P53の点滴をしているところ

写真は二時間前に病院へ行ってP53の点滴を入れてるところ。

事前に副作用があることは言われていましたが、個人差があり、まして小児の症例はないのでやってみないとわからないと言う見解でした。

放射線治療が終わって数時間は何も起きなかったのでほっとしていましたが、看護士が話すように夕方になってやはり熱が出始めました。

予め熱さましの薬を飲んでいたものの、効かなかったようで、
初日がこんなんでとても心配しました。

2011/12/27 こども病院へ

熱は少し下がり、意識はだいぶ回復しましたが、
治療の出だしが悪くとても心配したものでした。

熱が出て意識朦朧の様子

この日は朝放射線治療が終わった後、こども病院へ行きました。
病院から帰ってくるまでは悪いなりにも意識ははっきりしていたのですが、
夜になって熱も高くなり、意識が朦朧になりました。

数日間食欲もなく、体力もないだろうことを心配し悩んだあげく、
(夜クリニックが閉まっていたので)急遽知り合いの看護士に来てもらいました。

身体の栄養が足りなく、元気がないことを考え、
点滴を入れてもらいました。

部屋の空気が乾燥しているのでタオルを濡らして掛けたり、
何でもいいので本人によかろうと思う対策を色々しました。

2011/12/28 1クール3日目

この治療は放射線治療の前にテモダール(抗がん剤)を服用しなければならず、飲むのが大変でした。

ゼリーと一緒に・・・
苦労して何とか飲ませることができました。

テモダールの費用は自費でした。
この時点でこども病院は、遺伝子治療と併用するテモダールの処方は、
何か起きても責任持てないという理由で処方してもらえせんでした。

2011/12/29 4日目の放射線治療終了

1クール目、4日目の放射線治療が終わった夜、
妹と一緒に寝ようとしているところの写真。

妹と寝るところ

2011/12/30 1クール目終了

この日、全5クール(5週間)の1クール目の放射線治療が無事終了。

クリニックC4は本来12/30から正月休みに入るはずだが、堅太朗のため午前中開業してくれました。

2011/12/31

放射線治療はしばらくお休み・・・
しかしC4は長い正月休みを取るので(1/11まで・・・)、これだけ間を空けることに本当に不安でした。

放射線治療はどこで調べても集中して行うのが大事、間隔を開けると効果が少なくなると記述されていました。

澤村先生のHPにもそれが記されていました。

しかしこれから大変な治療となるのでその英気を養う期間だと・・・いい方向に考えたものでした。

本人はしばらく治療が休みになるので、大好きな弟と遊んだものでした。

大好きな弟と

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