長男10歳余命9ヶ月

2012年1月

2012年1月 失敗に終わった遺伝子治療

1月になるとふらつきがひどくなり、一人で歩けないようになってしまいました。
薬の副作用か?、病気の進行のせいか?はたまた抗がん剤のせいか?

よくわからないまま、吐き気がひどくなりご飯は十分に食べれなくなりました。
そして11日から遺伝子放射線治療が再開しました。

だんだんやせ細り不安が多い中、のどに絡む痰が原因で呼吸困難に、
ついに救急車で運ばれ緊急入院することになりました。

いつかはこんな日が来ると覚悟していましたが、
まさかこんな早いとは思いもしませんでした。

2012/1/1 最後の初詣

大晦日の紅白が全て終わって・・・子供は特にそうですが、この日は特別な日。
何とか起きていたので、妻と三人で近くの星影神社に初詣に行きました。

頭の隅にはこれが最後の初詣になるかもしれない、
行かなければならないという義務感があり、
妻も私も夜中で寒いというのに出かける足取りがとてもスムーズでした。

最後の初詣

車で5分ほどの比較的人の少ない神社、
そこでお賽銭をあげて、たき火にあたりながら甘酒を飲みました。

夜が明けていとこ家族がうちに遊びに来て、
御滝神社という別の神社へ初詣に行きました。

御滝神社と言ってこの辺りでは比較的大きな神社に行き、鉄砲当てを楽しみました。
(病気による)複視のせいで的が絞りずらいはずなのに予想以上に上手でした。
家へ帰ってからは餅つきを楽しみました。

御滝神社の模擬店で

小学1年生だった妹は 兄が病気になってから家にいるのがつまらなくなり、
年末から友人の家で過ごすようになり夜まで帰ってきませんでした。

2012/1/2-1/3 いとこやおじいちゃん、おばあちゃんと

1/2-3は私の実家埼玉で姉家族と一緒に過ごすのが恒例となっていたので、
いつも通り正月を一緒に過ごしました。

実家でのお正月

今年は昨年できなかった、餅つきをみんなで楽しみました。
恒例の凧揚げは体調が良くないのか?行きたくないと言うのでみんなと一緒にできませんでいた。

2012/1/4 こども病院

年が明けて初めの通院、こども病院のI先生に年末年始の様子を報告しました。
治療も中断していたので、薬の副作用もなく、穏やかな正月を過ごせたと報告しました。

2012/1/5~1/10 穏やかな日々

この1週間、放射線治療もなく家にいました。

食べれるものが消化が良く、飲み込みやすいものを選ぶようになっていました・・・。

2012/1/11(水) ようやく放射線治療が再開・・・

前の放射線治療からこんなに間を開けない方がいいのですが、
クリニックが1/10まで年末年始休みだったので、止む無く(この日まで)待ちました。

この施設の先生は間隔を空ける事をそれほど心配ないと言っていましたが、
今思うとこの休み間隔が、予後の悪化に影響したと思ってなりません。

1月からの治療は毎週水曜が新しいクール(週)のスタート。
遺伝子ウィルス(P53:Gendecine)は水曜日に注入。

土日が休みで二日間間隔が開くので、月火の遺伝子ウィルス併用効果は半減するのではないか?
クリニックに聞いたところ、然程変わりないという回答でした。

2012/1/12(木) "栄光の架け橋"

午前中は放射線治療、午後はこども病院に移動して主治医のところへ経過確認に。

写真はクリニックの放射線監視室。
ここのモニターで堅太朗の状況を監視し、放射線治療を行う。
放射線を当てる時間は毎回10分くらい。

放射線治療監視室

頭が動いて、健康な組織に放射線が当たらないようオーダーメードのお面をつけて照射します。
体も動かないよう位置を固定しなければならないので、
本人が耐えやすいよう本人の好きな歌を集めて音楽CDを作成しました。

野球コーチの車からいつも流れていたゆずの"栄光の架け橋"を入れました。
この歌はいつも一番始めなので、必ずこの歌が流れるのでした。

2012/1/14(土) いちご

風呂上りにいちごを頬張る写真。

いちごを頬張る堅太朗

食べ物は限られたものしか口にできなくなってしまいましたが、
いちごはのどごしがいいと言って食べることができました。

クリニックへ行くときに通る、
ビニールハウスでいちごを買いに行ったものでした。

2012/1/15(日) 手形、足型

これからどうなるか、わからない・・・
そう考えるとやるべきことはやっておこうと、
兄弟3人の手形、足型をとることにしました。

足型を取るところ

大事な記念になりました。
今でもそれは記念に飾ってあります。

2012/1/16(月) 吐き気が相当ひどくなりました

放射線治療の副作用なのか?テモダール(抗がん剤)の副作用なのか?病気の症状なのか?
理由がよくわかりません。食べたもの、飲んだものみんな吐き出してしまい、
本当に本人が可哀想で仕方ありませんでした。

2012/1/17(火) 放射線の臭い

放射線治療のせいで臭いにとても敏感になる副作用があります。
堅太朗の場合はその副作用がとてもひどく、耐えるのに苦労しました。
放射線室どころか、クリニックに入るのにも吐き気がひどくなり大変なものでした。

"鉄の腐った臭い"と表現していました。

薬局で好きな香水を選び、ティッシュに沢山しみ込ませ、
それを照射のとき顔近くにあてがう対策を試みましたが、
それでも吐き気がひどく、照射ができなくなりました。

照射室に入って30分経ってもダメなことがあり、
その場合は次の予約の人が終わるのを待って再挑戦しました。

予約の時間から二時間くらい遅れて開始することもあったものでした。

2012/1/18(水) 第三クール初日

二時間かけて遺伝子ウィルス点滴(P53:Gendecine)を入れる様子。
こうして遺伝子ウィルスを入れ、
体内にウィルスが蔓延してから照射を行います。

P53の点滴

2012/1/19(木) MRIの結果

この日午前中はクリニック、午後はこども病院で診察でした。

午後、こども病院で撮ったMRI結果を見ることに、
報告のときはものすごく緊張しました。

これだけ頑張ったのだから大丈夫だろうと不安と期待でいっぱいでした。

部屋に呼ばれ画像写真を見せられました。
たまたま主治医に急な電話が入り、主治医が席を外しました。

部屋に残された我々は写真を見て白くなっている部分が少なくなり、
腫瘍が小さくなったものと思いました。

主治医のI先生が戻ってきて説明がありました。

「腫瘍は少し大きくなっているか、それほど変化がない様子」
「手術が必要なほどではないが、脳室に水が少し溜まっている」

ショックでした。

「放射線治療の効果が表れるのは終盤なので、あきらめず頑張りましょう」

と言われました。

2012/1/23 痰が絡みとても辛い

痰が吐き出せなくて苦しい様子

吐き出すしかなくとても辛そうでした。
ちり紙かタオルでこうやってひたすら、ゆっくり吐き出すのでした。

2012/1/24(火) 雪が降りました

雪景色に気付いて、フラフラの身体で思わずビデオを撮りました。
1歳の弟をビデオで撮るついでに・・・

雪が降った日、実際に撮影したビデオの一部

のどに痰が溜み、しがらみ声でうまくことばが発せません。
話すのがとてもつらそうで、ゆっくり話しているものの時々言いたいことが伝わりません。

残念ながらこのとき録音した声が、
最後の肉声記録になってしまいました。

2012/1/25(水) 呼吸不全のため救急車搬送

放射線治療4クール目初日でした。
二時間かかるP53(Gendicine)の点滴と照射を終え帰宅はお昼くらいでした。

訪問看護ステーションの人が午後介護に来て帰ってからのことです。
更にのみこみが悪くなり、痰が器官に絡む影響で呼吸困難になりました。

普段からがまん強い堅太朗にしては珍しく、
自分から病院に行くと言い出したので、
すぐ訪問看護ステーションに電話で状況を説明し相談しました。

「すぐに救急車を呼んでください」

そう指示がありました。
言われるがまま救急車を呼んだのですが、
近隣の病院では受け入れが難しいようで30km離れたこども病院に搬送となりました。

「大変危険な状態です。こども病院へ着くまで何があるかもしものことがあるかもしれません」
「覚悟してください」

と妻は言われたそうです。

救急車は無事病院に着き、処置室で診察となりました。
その直後のことでしょうか?
病院から私の携帯に電話があったことを鮮明に覚えています。

主治医のI先生から

「お父さん、呼吸器を送管しなければなりませんがいいですか?」

と・・・言われました。

ここで呼吸器を送還することは、
今まで頑張って続けた遺伝子治療を断念しなければならないことも説明されたので、
正直迷いました。

他に方法はないか?主治医に尋ねましたが、

「このままでは呼吸不全で死ぬ可能性もあります」
「他に方法はありません」

と厳しい答えが返ってきたので、仕方なくお願いしました。
苦渋の決断でした。

まさかこの日を最後に本人の肉声を声を聞くことができないとは、
そのとき考えもしませんでした。

入院初日病室の様子

夜になって病棟へ移動されました。
ナースステーションのすぐ隣の部屋でした。

そこには重度の障害で入院している、堅太朗よりも小さい子供たちがいました。
その姿を見て改めて症状の深刻さを思い知らされた気がしました。

2012/1/26(木) 「のどが渇いた、何か飲みたい、何か食べたい」

呼吸器挿管がどれだけ大変なものなのか?
この日改めて思い知らされました。

呼吸器送管のとき、まさか食べ物、飲み物もNGになるとは、
説明はあったかもしれませんが、決断したときは思いもしませんでした。

本人は、

「のどが渇いた、何か飲みたい、何か食べたい」

私の顔みる度、そう口を動かして、合図するのでした。
何とかならないのか?
職員にお願いしましたがダメでした。

夜になって胃に直接、
栄養剤(ラコール)が入れられるようになりました。

入院二日目

一方、クリニックには看護師長のNさんに電話で救急車搬送のことを連絡しました。
呼吸器をつけた状態では、30km以上離れたクリニックまで行くことができず、
遺伝子治療は断念せざる得ないことを告げ、
残りの照射をこども病院で継続(一般的なリニアックという放射線治療方法)するので、
これまでの治療記録の文書作成を依頼しました。

あと残り9日だったのに本当に無念でした。

2012/1/27(金) 抜管の提案

飲み食いは禁じられているものの病院の対応もあって、
コンディションは良くなったような気がしました。

そうなると、

"呼吸器を外しても前みたいに、自分で普通に呼吸ができる"
"いつになったら管を外してくれるのか?"

本人はそう思うようになり、私たちに問いかけるのでした。

我々も素人目で何が問題なのか?外しても大丈夫じゃないか?と感じるようになり、
先生や看護士さんや職員にそういい続けました。
その思いを何度もぶつけた結果、副主治医から提案がありました。

入院3日目

「週明けの月曜、抜管して問題なければ様子を見ましょう」

主治医の承諾を得て段取りしてきてくれたのです。

"これで管が外せる"

堅太朗は自分が大丈夫なことに自信があるようで、
それを見た我々もこれで抜管ができると安心しました。

2012/1/28 (土) コミュニケーション

呼吸器を挿管されてから、コミュニケーションが困難になり相当ストレスが溜まっていました。
何とかストレスを減らそうとあいうえお表を作ってコミュニケーションをとることを試みました。

あいうえお表

しかし残念ながら表を使って一個一個文字を選ぶのは時間とストレスがかかるので、今後この表が活躍することはあまりありませんでした。

この時点ではまだ麻痺も少なく、手が動かせたので
使わなくなった携帯電話で文字打ちしコミュニケーションすることにしました。

入院4日目

2012/1/29(日) これも明日までだから

呼吸器を止めるためのテープで、口の周りが腫れあがってしまいました。
とても痛々しいです。
口の周り全体が腫れあがっているので、腫れてないところを探してテープを止めなければなりません。

少しでも緩和するように全体を冷やしました。
これも明日までのこと・・・

「もう少しだから」と堅太朗を励ましました。

入院5日目

この日は日曜日で幼馴染の友達が沢山お見舞いに来てくれました。
せっかくお見舞いに来てくれたものの、病棟には13歳以上の親族しか入ることができません。
そのため、ベッドにいる様子を携帯のビデオに撮り、
様子を教えてあげました。

お見舞いに来た友達に手を振る様子

写真はそのときの様子です。
動かすことができる左手でバイバイのポーズをとってくれました。

2012/1/30(月) 抜管への挑戦

抜管は先生やスタッフがいる中、午後行われました。
どうしても仕事で立ち会えなかった自分は会社の屋外で空を見上げ、
天に向かって抜管の成功を祈りました。

空は冬空で透き通ってきれいだったのを今でも鮮明に覚えています。

"きっとだいじょうぶだろうと・・・"自分に言い聞かせました。

当日の空イメージ

もう3時を過ぎたので"どうなったんだろう"と心配したときのことです。
ようやく妻からメールがありました。

「ダメでした。堅太朗は大泣きです。」

管を抜いて30分くらい様子を見たそうです。
その間に痰をごっくんと飲み込めなった様子を見て、
症状は回復されてないと判断されたそうです。
本人は泣きながら暴れ、抵抗しましたが、
押さえつけられ呼吸器を再挿管されました。

本人は病院側の判断に納得いかなかったようです。
痰は絡むものの、それでも自分は大丈夫だと自信を持っていたからです。

妻と私もこのときは正直病院を信頼できなくなりました。
万一呼吸困難になって死んでしまうリスクを説明され、
再送管を承諾したのですが、すんなり納得できませんでした。

1/31(火) 今後の治療方針

今後の治療方針について主治医のI先生から説明がありました。

「呼吸器を外し退院するには気管切開以外にない」と・・・

実際に本人の様子(呼吸器がなくても大丈夫と言っている)を見る限り、
昨日の結果がいまだに納得できず、病院はどうしてこんなに意地悪なんだ!

そう一緒に文句を言い、本人をなだめました。

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