長男10歳余命9ヶ月

2012年3月

2012年3月 退院、しかしすぐに再入院

気管切開後、順調な回復がみられ、3/2退院することが決まりました。
妻と私は穴を開けた気管部分の消毒方法、ガーゼの交換方法などトレーニングを受け、
退院はほぼプラン通りでした。

退院の日病院ロビーで

しかし、退院後翌々日には救急車で搬送再び再入院、
水頭により脳圧が上がったのが原因でした。

再入院し意識は回復したものの、身体の麻痺は早いスピードで進行し、
首から下は左手しか動かない状態になりました。

2012/3/1(木) 明日退院

切開した傷の状態もいいと説明があり、
退院することが決まりました。

婦長さんと

先生はこの週末3/2(金)、3/3(土)どちらかでいいと言うので、
早い方がいいと思い、明日の3/2に決めました。

2012/3/2(金) 待ちに待った退院

ようやく退院できるとあって、両方のおばあちゃん始めみんなが迎えに行きました。
離れ離れになった家族がまた一緒に暮らせると喜んだものでした。

しかし、本人の顔色が良くありません。
退院で嬉しいはずなのにほとんど笑顔が見られません。

妻の話によると前日の夕方からこうなったそうです。
呼びかけに対しても反応が悪く、本当に退院して大丈夫か不安でした。

副主治医のS先生は退院を先延ばした方がいいと言って下さいましたが、
午前中のCT写真では水頭症などの異常がないことがわかったので、
本人の強い希望も考え退院させてくれることになりました。

一ヶ月ちょっと世話になった6Fの病棟を出てエレベータホールへ出ると、
6F職員のほぼ全員がエレベータホールに集まっていました。

日勤、夜勤交代の時間前だったのか・・・沢山の看護士さん始め、
ソーシャルワーカーさんや、リハビリの先生など、
それは大勢のスタッフが集まってくれました。

30人くらいはいたでしょうか?
それはびっくりしました。

病院の配慮は本当にありがたいものでしたが、
本人の顔色が悪く本当に退院して大丈夫なのか複雑な気持ちでした。

退院の日病院ロビーで

また、家での療養は毎日訪問看護か来てくれることにはなっていましたが、
基本家族が介護をしなければならず、本当に自分たちができるか不安でした。

2012/3/3(土)

家へ帰ってから、溜まっていたビデオの録画を見たいと言うので見させていました。
日付が変わってからも顔色が悪いのは変わらずでした。

この日から再び訪問看護が来ることになりました。
退院してから始めての訪問看護だったので、
医師とクラーク、看護士さんの3人が来たと思います。

午後になっても顔色が悪いのは変わらず、

「頭が痛い」といい始めました。

事情を説明して夜も訪問看護師に来てもらいました。
このままにしておいていいのか相談しましたが、
退院前にCTを撮って異常がないことを確認していたので、
もう少し様子をみようというとにしました。

夜・・・

堅太朗はステロイドの副作用で普段睡眠は長くても三時間くらいですが、
この後ずっと意識がなくなり眠ることになるのです。

2012/3/4(日) 手術そして再入院

始まったばかりの慣れない在宅介護・・・
昨日まではしっかりやっていたものの、入浴、排泄など慣れない介護で、うっかりサチュレーションをつけるのを忘れ寝てしまいました。
朝起きてすぐ気づいたので、サチュレーションをつけて酸素血中濃度や脈に異常がないか確認することにしました。

堅太朗は相変わらず寝ていました。
最後に起きていた時間から8時間は経っていたと思います。

サチュレーションをつけてみたら大変・・・
酸素濃度は60台まで下がっていました。
正常値は97~100%で60台だと酸素療法が必要になるレベルです。
警告音がひたすら鳴り続けました。

サチュレーションイメージ

日曜日だったので病院は休みだったので、
すぐに訪問看護ステーションに電話し、対応策を尋ねました。

「お父さん、すぐに救急車を呼んでください」

まさかこんな危うい状態になっているとは思いもしませんでした。
それから・・・

「アンビューバックで気管切開の管から酸素を送って!!」
「六秒に一回」

と指示がありました。

アンビューバックとは人工的に空気(酸素)を送り込む器具のことで、
蘇生バックとも言うそうです。

アンビューバックイメージ

これはこども病院の副主治医が"万一の保険だから"と言って持たせてくれたものでした。
これがこんなに早く必要になるとは思いもしませんでした。

この応急処置で少しずつ酸素レベルが上がりました。
60台だったサチュレーションの数値が70、80、85と上がっていきました。

そうこうしているうちに救急隊が来ました。
救急隊が来るまで訪問看護のTさんは、ずっと電話をつないでくれて指示をして下さいました。

救急車はドクターカーのいる救急車と合わせ二台着ました。
合わせて8人くらい着たでしょうか?

アンビューバック処置を隊員の方と変わり、
病院へ行く準備をするよう指示がありました。

救急車の中で妻が救急隊員に言われたそうです。
「お母さん。このまま亡くなっても不思議ではない状態です!」
「非常に危険です!覚悟してください!」と・・・

救急隊員は意地悪をしてるつもりではないのですが、
30km以上離れた市外への搬送は異例で、
呼吸困難で意識のない状態を考え、客観的に見て危いことを妻に告げたのでした。

病院へ搬送されてから

病院に搬送されてすぐにCTを撮りました。
やはり、水が溜まって脳圧が上がったのが原因でした。

退院前にCTを撮って異常がないことを確認したはずなのに、
なぜこうなったか先生も理由がわからないようでした。
これがこの病気の怖くてわからないところなのでしょうか?

すぐに頭蓋骨に穴をあけて水を抜く手術が行われました。 [check]

"脳室内ドレナージ"という手術

これが単に水を抜けばいいと言うのではなく、
水を抜いた管を外に保ち、廃液バックにつないで脳圧をコントロールする処置が続くのでした。

手術後ICUにて

手術は成功したようで、しばらくしたら意識がもどるだろうと告げられました。
手術後はICUに移されることになりました。

このあとのことを考えました・・・

"意識が戻ったら、再び長期入院を余儀なくされる"
"妻は病院での寝泊りが再び始まる"

そうなると妹、弟を面倒見る大人が足りなくなり、
とても困る・・・。かわいそうとは思いましたが、
1歳3ヶ月の弟を母に頼んで実家へ連れて行く決断をしました。

再び家族が集まり、一緒に生活できたのもわずか2日でした。

2012/3/5(月) 意識戻らず

妻は家から病院へ行きました。
病院での寝泊りがほとんどだったので、家から通うのは慣れない様子でした。

意識が戻って病棟に戻れれば一緒に寝泊りすることになるので、
準備はして行ったのですが、結局この日は意識は戻りませんでした。

2012/3/6(火) 意識が戻る

妻から連絡ありました。

ようやく意識が戻ったと・・・・

3/6 ICUにて

2012/3/7(水) 再び病棟に

部屋は今までと違って南側の大部屋、
看護ステーションのすぐそば4人部屋のドア近くでした。

妻はこの日から再び、簡易ベットで一緒に寝泊まりする生活になりました。

2012/3/8 脳室ドレナージ

この処置で辛いのが頭の位置を一定に保たねばならず、しばらく起き上がらせることができないことでした。

ベットの頭位置を起こすことはもちろん、寝返りも十分にすることができませんでした。
リハビリなど体を動かすことができないので、ますます運動機能が低下するのではないか?
不安でたまりませんでした。

脳室ドレナージイメージ

2012/3/9 目もあまり見えない

相変わらず人工呼吸器のまま、手足も動かない感じでした。
CDは飽きてしまって、目が良くなくDVDも見れない様子で、
とてもかわいそうでした。

2012/3/13 頭の髄液から菌

看護士のNさんから髄液から菌が発見されたことを知らされました。
事前の説明にも高確率で起きることを知らされていましたが、
いざ発見されたことを知ると落ち込んでしまったものです。

手術が必要なようで3/16に予定されました。

DVDを見ている様子

一方、当の本人は寝ながらDVDを見られるまでになりました。

2012/3/14 包帯

包帯の面積がだいぶ減りました。

脳外科医師で一番若くて堅太朗も好きだったS先生が4月から異動するため、
記念に写真を撮らせてもらいました。

かっこよくて大好きだったS先生と

2012/3/15 包帯が取れました

ようやく包帯が取れました
すごく痛々しい跡が残っています。

痛々しい傷跡

ここまで本当によく我慢しました

2012/3/16 11歳の誕生日

誕生日というスペシャルな日なのに、相変わらずベットを起こすこともできません。
再入院してから食べ物、飲み物はストップされたままです。

看護士に薦められて書いた誕生日用の鼻管テープ

そんな堅太朗の気持ちを察し、病院のスタッフが、
ささやかな誕生会を開いてくれました。

スタッフが病室まで来て、ハッピバースデーを歌って下さり、
大好きだったコナンの寄せ書きをプレゼントしてくれました。
そこにはお世話になった6F病棟看護士全員のメッセージが書かれていました。

夜の20:40でした。
引継ぎの時間を利用してか?11名ものスタッフが来てくれました。
堅太朗はみんなに伝わるようしっかり口を開けて、

「ありがとう」と、

お礼をしました。
声は出せないのですが、そこにいる全員が堅太朗の言った言葉を理解し、
「おめでとう」と言って堅太朗を励ましてくれました。

11歳の誕生日

一生忘れられない誕生日になりました。

2012/3/17 手術

手術は3/17に変更、
堅太朗は12時前に手術室に入って行きました。
約1時間の手術でした。 [check]

手術が終わって病室へ戻ってきた後の写真です。
ガーゼが貼られている箇所が、再切開された部分です。

脳室から水を抜くチューブは、一旦頭のてっぺんの頭蓋骨外側に抜け、
頭蓋骨と頭の皮膚の間を通って耳の後ろへつながっていっています。
(写真わかりづらいと思いますが・・・)

後にこのチューブは頭の皮膚の下へ埋め込まれるのでした。

手術が終わった後

この日は土曜の午後・・・、
病院の脳外科が主催する脳腫瘍患者家族の茶話会が実施されました。

既に闘病を終えた家族、闘病中のご家族のお話を聞くことができ、
一部の家族とは今でも親しくさせてもらっています。

プレゼント

担任の先生が堅太朗のロッテ好きを知って、
誕生日にマスコットをプレゼントしてくれました。

30km以上離れた病院へせっかく来てくれても、
担任ですら会うことは禁じられ、申し訳ない気持ちでした。

担任の先生からプレゼント

当時堅太朗は5-3に所属していました。
"本人を励まそう"、"退屈させまい"
と担任の先生とクラスのみんなでビデオレターを作って送って下さいました。

"元気弾"

というビデオのタイトルでした。
このDVDは第一弾から始まり、第二弾、第三弾・・・
と続き、
第七弾まで続くのでした。

堅太朗はこのビデオを見るのをとても楽しみにしていました、

2012/3/19 呼吸器

3月の再入院からずっと呼吸器をつけっぱなしだったのですが、
少しずつ自発で呼吸が出来るようになってきました。

その様子は呼吸器のディスプレイで確認ができ、
確認方法は看護士さんから教わっていました。

何とか呼吸器を外し身体につながっている管を減らしたいので、
看護士さんを通して先生に伝達していただきました。

先生の見解は厳しいものでした。

N先生は

”呼吸が浅いので自発だけではムリ、呼吸器はこれからずっとつけるようになるだろう”

と外すつもりがないことを説明されました。
妻は落ち込み、この出来事を私にメールで知らせたのでした。

2012/3/20 今江選手のCD

堅太朗のロッテ好き、しかも今江選手が好きなことを知っていた友人Sが、
ファンに頼んで応援歌を集めたCDを作ってくれました。

CDには今江選手の登場曲だけでなく、バッターボックスに立ったときのファンの掛け声が数パターンあり、
おなじみのメロディーがふんだんに盛り込まれていました。

応援歌に励まされ

堅太朗はこのCDがお気に入りで、
何度も聞いて自分自身を励ましていたようでした。

呼吸器の納品

退院後の自宅療養を見据えて、自宅で使用するタイプの呼吸器に変更することになりました。

自宅療養では自分達が機械を管理し、使いこなさなくてはいけないので、
メーカーの人から真剣に説明を聞いたつもりでしたが一度では覚えられませんでした。

新しい呼吸器

何かの縁でしょうか?

営業担当者は漢字は違うものの、堅太朗と同じ名前の方でした。
とても親切で頼りになる方で4月の退院のときも、
4月飛行機に乗ってUSJへ行く羽田でも、
そばに来て我々をサポートしてくれたのでした。

2012/3/24 ポータブルDVDプレーヤー

実家の母が見舞いに来てくれました。
入院してから週一回は来てくれてたと思います。

来ると妻に代わって、堅太朗のそばに居て、
妻を休ませてくれるのでした。

また病院のDVDプレーヤーはとても場所を取り、
ベッド周りが狭くなるので、
母がポータブルプレーヤーを持って来てくれました。

ポータブルDVDプレーヤー

堅太朗はプロ野球のオープン戦を見た後、
嵐やコナンのDVDを見ました。

2012/3/26 点滴の針

左右の肘付近、右手の甲から点滴が取れなくなりました。
今まで何回もさし直しているのと、
やせ細ってしまったのと色々な原因で・・・

左手に点滴

病院スタッフは針がさせるところがないか、
いつも困っていました。

体の麻痺が進行し、動かせるのは左手だけでした。
看護士さんもそれを知っていて、
左手の甲から点滴を取ることは避けたかったのですが、

「けんちゃん、ゴメンね!」

と言って左手の甲に針をさすのでした。
仕方ありませんでした。

2012/3/27 病院スタッフと

病院スタッフと一緒に撮ったときの写真です。
言語の先生と看護士さんと。

病院スタッフと

2012/3/29 ベットを起こせるように

ようやくベットを起こすことができるようになりました。
DVDも起きて見れるようになり、
少しだけ生活の質が改善しました。

ベットを起こすことができるように

2012/3/31 片側の目で

看護士さんから、"片目見るといいよ"とアドバイスがあり、
DVDやインタネットを片目で交互に見させるようにしました。

本人もこの方がよく見えると言っていました。
プロ野球のシーズンになり、オープン戦が始まりました。

片目でDVD

"パリーグテレビ"というプロ野球インターネットテレビサービスを申し込み、
よく試合の中継を見たものでした。

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