長男10歳余命9ヶ月

2012年4月

2012年4月 待ちに待った二度目の退院

前回の退院と比較して笑顔の退院でしたが、
麻痺の進行が早く、首から下はほとんど動かなくなってしまいました。

医師からはとにかく「時間がない」と、
やれることはどんどんやるよう言われたものでした。

メイクアウィッシュのサポートで大阪のUSJへ

退院後すぐにメイクアウィッシュのサポートで大阪家族旅行、
それからVIP席でのプロ野球の試合観戦・・・
いろんなイベントが目白押しでした。

医療器具や介護に不慣れなことが多く、
私たちは戸惑うことが多かったものでした。

2012/4/1 DVDプレイヤー

病院にあるテレビのモニターを見るとき、
横に向きをとらなければならず、長い時間モニターを見るのが困難でした。

病床でDVDを見る様子

そこでディスクとモニター一体型のDVDプレイヤーを購入しました。
これで仰向けでもビデオを見ることができるようになり、
介護する方も楽になりました。

2012/4/2 隣部屋のKちゃんが亡くなりました。

Kちゃんは堅太朗よりずっと小さい女の子でした。
Kちゃんのおじいちゃんが、

「まだこんなに小さいのに、傷だらけになってかわいそうに・・・」

泣きながら妻に話すのでした。
堅太朗の入院中、同じ病棟で亡くなった子は三人目でした。

このような子の最期が近づくと、決まってある個室部屋に移されていました。
家族はエレベータホール待合エリアで疲れきった様子で待機していたのをよく覚えています。

また、通常病棟に入れないはずの13歳以下の兄弟が入っていく様子を見ると、
どういう状況かすぐに飲み込めたものでした。

堅太朗もいつかこんな日が来てしまうのではないか?
この場面に直面すると、不安な気持ちになったものでした。

2012/4/3 チューブ埋め込み手術

脳室から流れる髄液を抜くため、
脳の中にチューブを入れていましたが、
そのチューブを頭の中に埋め込む手術を実施しました。 [check]

普通であればチューブをお腹までつないで、
流れた髄液をお腹へ逃がす"シャント"という手術になるのですが、
合併症のリスクが高いと言う事でシャントは取り止めになりました。

チューブは耳の脇を切って皮膚の下に埋め込むことになりました。
本人は痛いのがもううんざりで、全身麻酔を希望してたようです。
(もちろん部分麻酔になりましたが・・・)
手術は12:30くらいには終わりました。

傷が増えるのでやりたくない手術でしたが、
退院するのに必要な手術と説明され、承諾することにしました。

今後の症状によっては、このチューブを使う可能性があり、
残した方がいいという判断で埋め込んだのでした。

車椅子

退院へ向けて車椅子に乗る訓練が始められました。
乗ると言うより、座らせる訓練と言ったほうがいいでしょうか?

呼吸器や吸引機など色々医療器具が乗せられるタイプのものでした。
あまりの大きさにびっくりしました。

2012/4/4 食べ物のトレーニング

ようやく・・・・
口から食べ物を食べるトレーニングが始められるようになりました。
とは言っても、長期間飲食はできなかったので、
まずは飴をなめるところからトレーニングを開始です。

飴玉を舐めるところからトレーニング

「以前のように普通に食べたり、飲んだりはできません。」
「味を楽しむだけになるでしょう!」

そんな感じのことを言われたような気がします。
そうなってしまうことと考えると、とても不安な気持ちになり、
喜びもつかの間、とても寂しい気持ちになったものでした。

トレーニングの様子

2012/4/5 メイクアウィッシュ

看護士さんやソーシャルワーカーさんの勧めで、
メイクアウィッシュの夢実現に応募することを決めました。

4/2、当局から主治医に申込用紙が届き、
早いものですぐに当局のアテンドがどんな夢にするか決めるため、
主治医、堅太朗に会いに来てくれたのでした。

夢の内容は本人と当局のアテンドが主治医の方針で決めるらしく、
親は結果しか知らされませんでした。

「飛行機に乗って、外国の遊園地に行きたい」

堅太朗はそうお願いしたそうです。

しかし、長時間の飛行機、現地で容態急変したときのバックアップ、
いろんなリスクを考えプランが見直され、

"飛行機に乗って、USJへ行く"

に変更となりました。

"ジャニーズ事務所のアイドルグループ嵐に会いたい"
"プロ野球ロッテマリーンズの今江選手に会いたい"

多分どちらかじゃないかなと思っていたので、
この結果を聞いてとても意外でした。

病院の計らいで

病院の外では桜が満開になっていました。

駐車場から病院に入るとき、咲いていたのがよく見えたものです。
私は1F食堂で休憩することが多かったので、窓から見えた桜の景色は今でも印象に残っています。

堅太朗はたまに検査やリハビリで他階に行くことがあっても、
普段は6Fの病棟で過ごすことがほとんどでした。
外の様子を知ることが到底できない環境だったので、

"見せてやりたいな"と、残念に感じていました。

そんなとき病院から特別な計らいで外に出させてもらいました。
看護士さんが付き添い、妻が車椅子に乗せて外へ散歩に行かせていただきました。

そのとき妻が看護師さんから言われた言葉が強く印象に残っています。

「お母さん、来年は見れませんから・・・」

言ってることはわかっているものの、実際にそうなってしまうことが信じられませんでした。
"奇跡は起こる、来年も一緒に絶対に見る"と自分自身に言い聞かせたものでした。

病院からいただいた記念品

写真は堅太朗と妻が桜を見に行ったときの記念品で看護師さんに作っていただいたものです。
退院のときにいただきました。

2012/4/7

車椅子に乗って、病棟内を散歩しました。
散歩と言っても6F西棟だけなので5分もすれば端から端まで回れます。

6西病棟を散歩

早く退院してもっといろんなところを見たいと思ったものです。
車椅子が大き過ぎて散歩が大変でした。

2012/4/9 妹との再会

妹と3/4以来の再開が実現しました。

13歳以下は病棟に入れず面会ができないため、
病院へ来てもずっと会うことができませんでしたが、
先生の特別な計らいで車いすに乗せてエレベータホールで会わせてくれることになりました。

妹と久しぶりに再会

元気な時は喧嘩ばかりしていたのに、この日ばかりはお互い嬉しそうでした。

退院が決まる

二度目の退院日が4/11に決まりました。

2012/4/10 リハビリ

退院が決まり、リハビリのやり方を覚えるため、
先生に頼んでビデオを撮らせてもらいました。

ポイントは、
"腕はななめに動かす"、"顔は頬には触れず骨の部分をもつ"
見ていると簡単そうに見えますが、やってみるととても難しいものでした。

リハビリの様子

"手足の曲げ伸ばし方法から、座る姿勢のリハビリ・・・
家に帰ってから同じようにできるだろうか?"

"これをしかっりやるかやらないかで、
予後の生活もだいぶ変わってしまうのではないか?"

そう思い先生のアドバイスを真剣に聞いたものでした。

2012/4/11 退院の日

一度目の退院と異なり、この日の退院は顔色もよく笑顔でした。
ただ首から下はほとんど動かせなくってしまい、
前の退院と違いこんな大きな車いすに乗せなければなりませんでした。

二度目の退院

最後に鼻管の入れ方、気管切開部分ガーゼの交換歯磨きの仕方など色々おさらいしました。

看護師さんやソーシャルワーカー、CLSさんら多くの方に見送っていただいたのを覚えています。
家では訪問看護に来ていただくため、引継ぎの書類手続き等病院側には本当にお世話をかけました。

2012/4/12 学校先生方のお見舞い

退院を知った学校の先生方が早速お見舞いに来てくれました。
クラスは5年生から6年生にそのまま持ち上がり、
その報告も先生方がして下さいました。

6年生の先生方と

在籍している先生だけでなく、
他校に行ってしまっている歴代担任の先生方々、
沢山来てくださいました。

1年~4年歴代の先生方と

この時点では本人の希望もあってお見舞いは、
大人だけに留めておくことにしました。

2012/4/15 ヘアカット

入院生活も長かったこともあり、ずいぶん長い間髪を切っていませんでした。
せっかくの記念旅行なので髪をきちんとしたいと思い、
いつも通っていた行きつけの美容院に電話したところ、
閉店後、出張で来てくれることになりました。

ヘアカットの様子

頭を一定位置に固定できないので、作業は大変そうでしたが、
放射線治療で抜け落ちた髪と、手術で剃った髪を上手に隠しカッコよくなり、
堅太朗の好きな嵐の二宮君みたいにワックスもつけてくれました。

見違えるようになってとても大喜びでした。

2012/4/16 大阪へ出発

予想以上に荷造りが大変で本当にバタバタでした。
吸引器、呼吸器、酸素ボンベ、カテーテル、バッテリー、サチュレーション・・・
持っていかなければいけない荷物が多く時間がかかってしまいました。

MAWJの方が介護タクシーを手配し自宅へ迎えに来てくれたのですが、
準備に予想以上時間がかかり、何とか手伝っていただき出発することができました。

羽田へ行く介護カー車中の様子

この旅行はDoor to Doorで飛行機に乗る間、ホテルにいる間以外は、
全てMAWJのスタッフが帯同してくれました。
また、羽田空港では呼吸器メーカーのTOKIBOさんの担当が三名も待機。

羽田で呼吸器メーカーの方々と

子供病院のI先生は旅先での受け入れ病院を探し診断書も書いてくれただけでなく、
飛行機に医療器具を積むための資料作成など手際よくやってくれました。

たくさん医療器具を積んで飛行機に乗るため、いろいろ書かなくては書類がありました。
また、搭乗してからは座位を確保しシートベルトを着用できる状態にしなければならなく、
身体の位置決め、呼吸器や、吸引器の場所、カテーテルの位置決め・・・
全て整ったときは汗びっしょりでした。
飛行機のスタッフも一般客を待たせていたためすごく焦っている様子でした。

飛行機内の様子

ホテルについて妹は大喜び・・
大阪現地のMAWJスタッフが部屋にたくさんの飾りつけをして準備してくれました。
兄弟全員にプレゼントも用意してくれていたのは本当にありがたかったです。

ホテルのご飯はバイキング形式でいろんなものが沢山あってとてもおいしく、
堅太朗は特にステーキを沢山食べました。

ホテルへ来てからの様子

2012/4/17 いよいよUSJへ

朝の出発は11時くらいだったのですが、
吸引器、呼吸器、カテーテル、バッテリーなど持って行くものの準備で、
またもや少し遅れてしまいました。

ビュッフェスタイルの朝食を取って、
ホテルのロビーに行くと既に現地のMAWJのスタッフ2名が待機してくれていました。
このアテンド2名には本当にお世話をおかけしました。

堅太朗は身体障害者で遊べるものは限られているので、
事前にMAWJの方がUSJスタッフと話し合いプランを計画して下さっていたのです。

全てファストパスで段取りを取っていただいたので並ぶことはありません。
アトラクションに行くときは裏通路みたいのを通って・・
"こんなになってるんだ~"ってところをいっぱい見ることができました。

Water Worldのアトラクションが一番人気だそうですが・・・
本当にアクションが素晴らしかったです。
ステージに近いところへは車椅子で入れなかったので、
近い位置まで本人を抱っこして行き、
椅子の上に横たわった状態でショーを観覧しました。

ショーが終わるとキャストと一緒に写真を撮るため長い列が出来ていたのですが、
しばらくするとキャストが客先の最上段まで駆け上がり、
車椅子のある我々のところに来るのでした。
そこでキャスト全員と一緒に記念撮影できたのは感激でした。

60%,スパーダーマン ジョーズ Water World

本人が一番気に入った乗り物はアクション系で唯一乗ることができた、
ジョーズのアトラクションでした。
他は見るものばかりしか体験することができませんでした。

シュレッグ お土産を選んでいる様子

夕方には帰る予定でしたが、妹が乗り物に乗れないと不満なため分かれて行動することに・・・。
堅太朗は妻とお土産屋で時間を潰すのでした。

大阪ならではの面白いグッズが沢山あり、病院スタッフなどにお土産を買うのを楽しんだものでした。

2012/4/18 旅行最終日

帰りも初日と同じ介護タクシーのおっちゃんが送迎してくれました。

大阪ならではのとっても面白いいおっちゃんで、
伊丹空港からホテル往復の時間とても楽しく過ごすことができました。
妹は大阪弁がとても新鮮なようで、ずっと助手席で喋っていたのをよく覚えています。

旅行最終日

帰りの飛行機は行きと逆で、
通常客の搭乗が終わってから我々が乗ることになりました。

座席が窓側になっていて、私たちの要望が叶い喜んだものです。
行きの飛行機は真ん中の席だったので、帰りは窓側にするようMAWJの人にお願いしていたのです。
おかげで堅太朗は妻に支えられながら、飛行機の小さな窓から空を眺めることができました。

羽田へ着き飛行機を降りると、空港スタッフの方が出口まで付き添って下さいました。
まだ新人さんで、なぜ航空関係の仕事に就きたかったのか、
聞きながら出口まで歩いていったものです。

出口へ着くとMAWJのアテンドの方が出迎えてくれました。

"おかえりなさーい"

のカードや飾りを作って我々を待っていてくれたのです。
驚いたのはUSJへ行ったときの写真を大阪のアテンドと共有し、
この飾りに何ショットも入れてくれていたのです。

飛行機そのものも遅れていたのですが、
空港で飛行機を見たり、写真を撮ったりで遅くなったので悪い気がしました。

羽田空港での出迎え

自宅までの介護タクシーも付いて来てくれて、
何から何まで本当にお世話になりました。

なぜ飛行機に乗って遊園地なのか?

お通夜のとき、なぜ飛行機に乗って遊園地行きを決めたのか?
このときのアテンドの方から話を聞きました。

"天国はどんなところだろうか?天国を見てみたい・・・!"

そう思って飛行機に乗ることを決めたそうです。
アテンドの方は堅太朗に口止めされ、私たちに言えなかったのでした。

お通夜の時、それを伝えて下さいました。

余命宣告されていることは堅太朗に隠してましたが、
治療を頑張ってもだんだん悪くなる現実、周囲の大人たちの様子・・・、

これらを察知し、
既に自分がこの先どうなるか気付いていたのでした。

2012/4/19 弟と

弟が気管切開のカニューレや呼吸器の管を引っ張って遊ぶので、
目が離せません。

弟と

弟は顔をつねったりひっぱたいたりもします。
堅太朗は抵抗するどころか、助けを呼ぶこともできないので気が抜けませんでした。

2012/4/22 VIP ROOMでの観戦

退院して初めての野球観戦・・・
妻の知り合いがマリーンズのスポンサー会社に勤めていた縁あって、
VIP席を用立てて下さいました。

呼吸器、吸引器を持って外出するのにまだ慣れてなく、
VIPルームから車椅子を入れるのには苦労しましたが、窓からスタンドを見下ろす眺めは最高でした。

45%,初めてのVIPルーム観戦

球団マスコットのマー君やリンちゃん、Mスプラッシュのチアリーダーの方も遊びに来てくれて妹もとても大喜び。

VIPルームから見た景色

三塁側だったので今江選手を良く見ることができました。

2012/4/26

担任の先生と一番仲の良かった3人が遊びに来てくれました。

退院したての頃は、本人の状態を見せる抵抗もあって、
お見舞いは先生方に限定していましたが、
あまり時間がないことと、本人の了承で、
少しずつ友達に合わせるようにしました。

久しぶりに学校の友人と

またメイクアウィッシュジャパン(MWJ)のアテンドの方が、
旅行の写真を持って堅太朗に会いに来てくれました。

MWJのアテンドの方と

写真はきれいにアルバムに収めていただき、
額に入った記念品も作って下さいました。

余談ですが私の姉は堅太朗の病気を通し、MWJのことを知ったのですが、
この団体の活動に感動し、
以後ボランティアとして活動に参加するようになりました。

2012/4/29

堅太朗が好きだった私の友人のTが埼玉から遊びに来てくれました。

Tはオタクで、ゲームやアニメのことをいっぱい知っていて、
子供に人気のキャラでした。

TとDSで遊んでいる様子

夕方幕張メッセのイベントに行くはずだったのに、
キャンセルしてずっと遊んでもらいました。

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