長男10歳余命9ヶ月

2012年6月

2012年6月 急速に悪化する病気

顔はステロイドの影響でパンパンにふくらみ・・・
痩せていた頃の面影はなくなっていました。

ステロイドの影響で膨らんだ顔

ご飯を食べるのも、頬の肉厚と麻痺の進行でうまくできなくなり、
こぼしたり、口の中のものをとってあげたりすることが常となったものです。

6月中旬には熱が40度近くまで上がり、
それ以降ずっと40度まで上がったり37度近くに下がったりの繰り返しとなりました。

身体はボロボロで点滴をつないだり、注射をする血管が取りづらくなったため、
静脈にカテーテルを挿す手術をすることにしました。
このため3度目の救急車に乗ることになりました。

好きな風呂でお湯につかることができなくなり、
薬はステロイドのほかにカテーテルからの点滴も加わり、
飲食も少しずつできなくなり、どんどん生活の質が下がっていくのでした。

2012/6/1 Sさんと夢の出会い

ずっとあこがれていたSさんとの面会が実現しました。
妻の知り合いが用立ててくれてこの出会いが叶いました。

たまたま船橋に来ることになり、
夜の公演前に会わせてくれることになったのです。

画像の説明

Sさんに会うやいなや、堅太朗は大粒の涙を流し感動していました。
Sさんも堅太朗につられて涙を流し、見ている周囲の人みんなつられて涙を流したそうです。

本当は何か言いたいことがあったはずなのに・・・
しゃべれない本人が本当に不憫でたまりませんでした。

運動会へ行く決断

次の日は行くかどうかためらっていた運動会・・・

同級生や先生から"ぜひ来てほしい"とずっと手紙やメールをいただいていました。
組体操の練習はとても大変だったようですが、みんな堅太朗に見せるためと思い、
頑張って練習していたようです。

誘ってくれるのは嬉しかったのですが、みんなが元気に動き回っているのを見て、
自分の変わり果てた姿を披露するのが辛く嫌で、躊躇していました。

しかし真剣に考えてほしいと先生方の最後のお願いに屈し、
組体操のある午後から行くことに決めました。

2012/6/2 運動会

いい天気に恵まれました。
小学校二年になる妹は普段より早く出かけ、
堅太朗はお昼の時間まで家で療養することになりました。

クラスメートと運動会の後で

時間が来て学校へ行くと、
家族みんなでお弁当を食べられるよう家庭科室が開放され、
保健室もベッドを空けてくれました。

おかげでお昼のお弁当はゆっくり食べることができ、
実家の父と小学1年の従兄弟もその輪に入りました。

昼食後、組体操が始まるまで保健室で横になり時間まで待つことに・・・
保健室は本部のすぐ裏側にあり、
放送部の放送の声、盛り上がっている歓声が中まで聞こえてきました。

いよいよ・・・時間になって保健室から本部テントに移動するときが来ました。
まず、テントPTA席の一番真ん中に車椅子をセット。
そして保健室から堅太朗をだっこして車椅子に座らせました。

上半身を固定し終わった頃には既に演目が始まっていたのを覚えています。
席からは校庭全体を眺めることができ、
とてもいい席でした。

実際にテントからグラウンドを見ている様子_卒業アルバムから抜粋

ブリッジや頭立など簡単な演技から始まり、
徐々に複数人数の難しい演技になっていきました。

近くにいた6年生の先生方は

"失敗しないで欲しい・・・"

というような緊張のまなざしで演技を見守っていました。
先生方の思いに気づいた堅太朗と私たち夫婦も真剣に演技を見学しました。

終盤になるにつれ、演技が難しくなり見ている人の緊張が高まりました。
一番難易度が高いであろう、タワーが成功すると、
大きな拍手が沸きあがりました。

クライマックスシーンが成功し、最高のパフォーマンスができたとき、
学年主任のN先生は涙を浮かべながら堅太朗のところへ来て、
手を握りしめ言いました。

「みんなお前に見せるために頑張ったんだ!」

N先生の目には涙がにじんでいました。

その言葉を聞いた堅太朗は、先生の言葉に感動して大粒の涙を流し、
以後演技が終わるまでずっと泣きっぱなしでいたものです。

その様子を見ていた私たちも感動して涙が止まりませんでした。

組体操は例年と比べても、高いレベルで、大成功に終わったようでした。
堅太朗はこの後の紅白リレーも観戦し、最後までいることになりました。

6年生全員で集合写真

運動会が終わった後、6年生全員で集合写真を撮りました。
3クラス全員の集合写真です。
堅太朗は車椅子に乗って端っこに写っています。

病気になって辛いことで泣くことが多かったのですが、
この日は本当に感動して泣けた日でした。

2012/6/8(金) 飲み込み

飲み込みが更に悪くなりました。
口に入れてももぐもぐするだけで、食べ物は口の中に残る状態が更にひどくなったのです。

ときどき手を突っ込んで取ってあげないと、口の中にたまる一方でした。
食べたくても食べれない本人は悔しそうでした。

身体の麻痺はとうとう顔にまで達してきたのです。

2012/6/9 遊びの会メンバーお見舞い

埼玉からわざわざ遊びの会のメンバーがお見舞いに来てくれました。

埼玉から来た友達と

2012/6/12 発熱

何の前兆もなしてに夜から熱が上がり、
6/13未明にかけて39.5の熱が発生しました。

始めは病気で免疫が弱くなり、風邪をひいたのかと思いました。
連日大勢の人が来てたので、何かに感染した可能性も否めませんでした。

こども病院に入院してからは熱を出すことはあまりなかったので、
このときは病気の進行に直接関係ないものと思ってたものです。

2012/6/13 往診

昨日からの高熱のせいでほとんど意識がなくなってしまいました。
往診に来た訪問看護ステーションのW先生は、

「脳幹がやられ、呼吸機能まで悪くなっています。」
「非常に危険な状態で、意識がなくなるのも時間の問題かもしれません。」
「(悔いないよう)今のうちに会わせたい人に連絡して面会させてください。」

と妻に告げていきました。
やるせない思いでした。

担任のM先生が学年全員で撮影した運動会の写真を(引き伸ばして)、
持ってきてくださいました。

お見舞いに来て下さった担任の先生

堅太朗に早く見せたいと思い、授業の合間を縫って来てくれたのです。
しかし、当人は昨日からの高熱で意識がはっきりしない状態でした。

2012/6/14 イソバイドシロップ

この日もW先生の問診があり、改めて危険であることを告げられました。
今までのデカドロン(ストロイド)とファモチジンの投薬では不十分であることから、

イソバイドシロップ(グリセオール)という点滴を処方し、
更に脳圧を下げる処置が実施されました。

この時分になると手足が本当に細くなり、
点滴を入れる血管を探すのに一苦労でした。
左手にかろうじて点滴を入れられる血管を見つけ処置しました。

熱が上がったり、下がったりは脳腫瘍末期には典型的な症状だそうです。
熱を37.5以下に下げ、本人を少しでも楽な状態にすることを目標とするよう告げられました。

夕方になって、横浜から姉家族がお見舞いに来てくれました。
前日のW医師の話を姉に話したからです。
小4と小1は学校を早退して堅太朗に会いに来てくれました。

平日なのに横浜からいとこのお見舞い

2012/6/15 子供病院の診察予約

この日も様態は悪いものの、朝プリンひとつ食べることができました。

子供病院の診察予約があったのですが、
熱が高く行くことができないので私が代理受診に行くことにしました。
呼吸器の水など備品も減っていて、支給が必要なこともあったので・・・

何とか今の症状を正確に伝えようとビデオを撮って、
それを主治医のI先生に見せました。

先生と看護士さん、ソーシャルワーカーさんも往診室に入って、
私のスマートフォーンの映像を興味深く見ていました。

「わー、けんちゃんだ!」

堅太朗の映像を見て喜んでくれて、
会いたがっている様子を見せてくれました。

動画の一部

ビデオを撮ったひとつの目的は顔のむくみを何とかしたいためでした。
訪問看護ステーションはステロイドを増やす治療方針で、
本当にいい対策か疑問を持っていたからです。

I先生はステロイドを減らした方がいいと言っていましたが、
訪問には訪問のやり方があるので、
任せている以上仕方ないとお話されました。

2012/6/16 三ヶ月遅れの誕生日

堅太朗の誕生日は3/16ですでに三ヶ月経っていますが、
入院中仲間と誕生会ができてなかったことから、
みんなが家へ来て誕生会を催してくれました。

三ヶ月遅れの誕生会

ろうそく消しは十分に息を吹きかけられませんでしたが、
楽しく仲間と過ごせられたことはとても良かったです。

わざわざ茨城からも友達が来てくれました。

2012/6/18 バリ島から友達のお見舞い

バリ島から友達が遊びにきてくれました。

バリ島から友達のお見舞い

堅太朗は幼少のときバリ島へ遊びに行ったこともあり、
それ以来、日本へきてくれるときには必ず会うようにしていました。

2012/6/19 チェック表

朝ごはん食べさせた後、きちんとデカドロンとファモチジンを飲ませたか?
妻と交代で世話の分担をしていましたが、私がチェック表(A4の紙)のつけ忘れをして仕事へ行ってしまうことがありました。
チェック表は体温と排泄、薬の処方時間を記録するものでした。

薬の副作用で睡眠時間が毎日4~5時間くらい、
堅太朗は夜中もほとんど起きていました。
薬を飲ませたり、氷まくらを変えたり、むきを変えたりで・・・・
世話を休むことがなかなかできませんでした。

夜中はほとんど起きていて、朝になって浣腸をしてもらい、ご飯を食べるのが日課になっていたので、いつも朝になるのが待ち遠しそうな感じでした。

薬服用管理シートイメージ

対策として薬局が持ってきてくれた薬の管理表を使うことにしました。

2012/6/22 三度目の救急車

"中心静脈カテーテル侵入術"と言う手術を実施しました。
血管から点滴を入れなければならないのに入れられない・・

これを改善するため訪問看護ステーションの提案で、
直接血管にカテーテルを侵入する手術をしました。
鼠径部(下図①)という又のところからカテーテルを挿すことで、
点滴と同じようにその管を使って薬や栄養を注入することができます。

鼠径部は①の部分

薬の処方をこのカテーテルから入れられることができる・・というメリットがある反面、
好きだったお風呂には入れなくなる(湯船に十分につかれない)というデメリットがあり、
またひとつ生活の質を下げてしまったことで、後になってから後悔残る選択でした。

手術は全身状態が心配されるため救急車で搬送、
看護師が同乗するという条件で、こども病院が引き受けてくれました。
また、訪問看護ステーション2名の看護士が付き添うのも条件でした。

私は久しぶりの病院だったので、頭の(CT)検査をやってどういう状態を知りたかったので、
先生にやらないか聞いたところ、
主治医のI先生は、

「あまりの意味のないものだから・・・」

とおっしゃられました。
その代わり、胸の写真(肺)を撮って病訪問看護ステーションに渡して下さいました。
時間がないんだ・・・ということを悟りました。

手術は無事成功し、6時前には自宅の車で帰宅できました。

子供病院に行ったのはこの日が最後になりました。

帰り・・・主治医のI先生、ソーシャルワーカーさん、CLSさん、看護士さん、
みんなが車まで来て見送って下さいました。
主治医の先生が見送って下さったのは最初で最後で、
異例中の異例だったような気がします。
この対応はとてもありがたかった反面、

"あー、もう本当に長くないんだ"

改めて痛感した瞬間でした。

治療を開始したときは、堅太朗も私たち夫婦もみんなこども病院スタッフが嫌いだったのに、
三ヶ月近くの入院、退院後通院を病院で体験していく中で、
改めて病院スタッフの温かみを感じ、いつの間にかみんな好きになっていました。

堅太朗は退院してから、病院へ行ってスタッフに会うのをいつも楽しみにしていました。
体調が悪く病院に行けないとき、とても残念がっていたのをよく覚えています。

2012/6/24 クリスマス会

毎年、自宅に友人を呼んでクリスマス会を実施していたのですが、
前回は堅太朗の病気で実施できずにいました。

子供も大人も楽しみにしている恒例のイベントで、
堅太朗は子供たちの中で最年長で、いつもこのイベントを盛り上げていました。

クリスマス会の様子

友人がメンバーを家に集めてくれました。
いつも大盛況のビンゴゲーム・・・やりました。

2012/6/26 最後のマリンスタジアム観戦

妻の知り合いYさんから野球観戦の連絡がありました。
この日も熱が上がり、意識もはっきりしないので難しいと思ったのですが、
「行きたい」と言うので、点滴と呼吸器をつけ、吸引機・酸素ボンベ持参で観戦を強行しました。

高熱が2週間近く続いていて、車椅子にも乗っていられない状態だったので、
観戦窓のそばにソファーと布団をその高さまで積み上げ、簡易ベットを作って、
寝かせて試合を観戦させることにしました。

マリンスタジアムVIPシートの窓から

これにより寝ながら試合観戦できるようになりましたが、
寝ている姿全身がVIPルーム下の一般客席から丸見えになってしまいました。
何だか珍しいものを見せてやっているみたいで、客席から嫌な視線を感じるようになりました。

試合が始まっても体調は悪く、途中意識があったり、なかったりでほとんど試合は見られなかったと思います。
痰の吸引も5分毎くらいにしなければならずとても辛そうでした。
また、体の向きを変えるのは通常であれば頭と足の位置は逆に変える必要はないのですが、
スタンド側に体を向かさねばならず、向きを変える度に頭と足の位置は逆にしました。
このため呼吸器本体やチューブの位置、
手や足のクッションを置く位置を調整しなければならずけっこう大掛かりでした。

そうこうしている様子が下の観客席からずっと見られているような感じがしてとてもイヤでした。

しかし、その思いは7回裏ジェット風船を飛ばすときのシーンで変わりました。

麻痺の進行で体は全く動かせない状態でしたが、
大好きだったジェット風船くらいは、自分で飛ばしたいだろうと思い、
(自分が飛ばしたと感じさせるように)出来る限り膨らましたジェット風船の先端を握らせようと試みました。

アナウンスの合図があって風船を飛ばすのですが、タイミングが遅れてしまい、
先に風船を飛ばした下の客席から、更に強い視線(注目)を感じることになりました。

何とか手元に膨らました風船をセッティングし、
少しタイミング遅れて、ようやく手元から風船を飛び放つことができました。

すごくキレイに真っ直ぐ空中に向かって飛んでいきました。
今まで何度もマリンスタジアムでジェット風船を飛ばしたことがありますが、
あんなにキレイに空に飛んで行ったことはなかったと思います。

ジェット風船が舞い上がっていくイメージ

空に向かって真っ直ぐ飛んでいく風船を見上げていると、
すぐそばから大きな声援と拍手が沸いてきました。

「何があったんだろう?」
と客席を見下ろすと、さっきまで冷たい視線を投げかけていたと思った観客が、
我々の方を向いて、盛大な拍手をくれたのです。
三塁側のVIPルーム下は、まさにスタンディングオベーションでした。
私はとても胸が熱くなり感動しました。

声援が収まるまでしばらく時間があったと思います。
ジェット風船が終わり、試合再開のアナウンスもこの様子を察知し、
少し声援が収まるのを待ってされたようでした。
まるで球場全体が堅太朗を応援してくれているような錯覚に陥ってしまいました。

私は声援と拍手をくれたファンの方に頭を下げてお礼をしました。
この光景を思い出すと今でも目頭が熱くなります。

2012/6/27 お化けの本

堅太朗は怖い話が大好きで、よくお化けの本を読んであげたものです。
熱は相変わらず下がらないので、寝たままの状態で本を読んであげることが日常茶飯事でした。

本の読み聞かせ

2012/6/28 最後の外食

この日、堅太朗が楽しみにしている訪問入浴がありました。

熱が上がったり、下がったりの状態だったので入れるか心配だったのですが、
この日は熱もなく無事に入浴することができました。

ただ股の点滴をつけたままなので、ずっとお湯につかることができないのでがとても気の毒でした。
3人のスタッフが交代で上からお湯をかけて、体を温めてくれました。

その中の一人のおばちゃんはいろんなお話をたくさん知っていて、
よく堅太朗に話して聞かせてくれたそうです。
堅太朗はそのお話をとても楽しみにしていたそうです。

お風呂と食事の様子

この日は悪いなりにも調子が良かったので、
ずっと行けなかったもんじゃ焼きのお店に行きました。

行きつけの"ぱんじー"というお店です。

呼吸器をつけて車いすに乗った様子を見た店員さんは、
変わり果てた堅太朗の姿を見てとても驚いていました。

いつももんじゃ焼きは私が作るのですが、
この日もんじゃはいつも以上に上手にできなくて、気の毒な悪い思いをさせてしまいました。

そんな私の気持ちを察してか、堅太朗はあまり気にせず喜んでくれました。
外食はともかく、これが生涯最後のお出かけとなりました。

2012/6/29 クラスメート本の読み聞かせ

クラスメートが本を読み聞かせに来てくれました。
学校の友達も具合が日に日に悪くなっていくのを心配してくれていみたいです。

クラスメートの読み聞かせ

前はベットを起こして友達の顔を見ることができたのに、
熱があることが多く、ベットを起こす回数も減ってきました。

2012/6/30 埼玉からお見舞い

この日私の友達らが埼玉からお見舞いに来てくれました。

午後からは入れ替わるように遊びの会メンバーが来て、
歌を歌ったり、踊ったりで一緒に遊び・・・

この時期になると週末はいろんな人が家にお見舞いに来てぐちゃぐちゃでした。

みんなからの励まし

夜は妻の友人が介護ズボンを作って来てくれました。
堅太朗自身も着替えの度、毎回ズボンを下まで下ろすのは体力的負担で、
脇を全部外して着替えられるタイプのズボンは非常に助かりました。

もっと早くやってあげれば良かったと後悔したものです。

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