長男10歳余命9ヶ月

2012年7月

2012年7月 最期のとき

堅太朗が2012/7/17に亡くなりました。

三日前から意識はありませんでしたが、
今振り返るとそのとき耳は聞こえていたような気がします。
もっといっぱい話しかけてあげればよかった・・・
一人で逝く不安を少しでも取り除いてあげたかった・・・

それをとても後悔しています。

堅太朗が亡くなりました

訪問看護ステーションから熱を37.5以下に下げることを目標にするよう告げられ、
24時間体制で解熱の座薬と脳圧を下げる点滴を入れ替え、
管理表を作って忘れないよう対策しました。

しかし、その努力も報われることはありませんでした。
誰に何を言われても、どんな状態であろうと良くなるだろうと常に信じていましたが、
現実は厳しいものでした。

2012/7/1(日) 朝から熱が高く

朝方は39度を越す高熱でしたが、夜中と朝の解熱座薬が効いたのか、
夕方になってようやく熱が下がりました。

横浜から姉家族が見舞いに来てくれて、
介護で疲れていた私たちに代わって、ずっと堅太朗にマッサージをしてくれました。
小学4年のいとこは堅太朗に本を読み聞かせてくれました。

2012/7/2 口内炎

この日は目標としている37.5以下の熱をキープ
しかし口内炎がひどくなりました。

口腔ケア

いろいろ調べて、長い綿棒を買ってきて口の中をケアしました。

2012/7/3 39.7度

昨日から体温は好調でしたが、夜にかけてまた熱が上がりだしました。
やはり夜になると熱が高くなりがち・・・

夕方を過ぎたくらいから37度、38度・・・
日付が変わって2:00には39.7度になっていました。

解熱の座薬を入れて何とか熱が下がらないものか祈りました。

2012/7/4 解熱剤が効いたのか・・・?

朝になって熱は37度台で落ち着きました。
本人は連日熱が上がったり下がったりとても辛そうな様子。

遠いところからいつも申し訳なかったのですが、
バリ島から友達家族がお見舞いに来てくれました。

バリ島からの友達

実は日本にいるおばあちゃのYさんは5月くらいから、
自宅に来て家のことを手伝ってくださいました。

私が仕事に行っている平日は妻が介護をするのですが、
まだ1歳だった弟の面倒や食事、洗濯など、
ほぼ毎日自宅に来て私たちを助けてくださいました。

2012/7/5 やはり夜は熱が・・・

夜になってまた熱がぶり返してきました。
最高体温は20:30の39.3度でした。

2012/7/6 薬の服用取り止め

この日から訪問ステーションの判断でデカドロン(ステロイド)、
ファモチジンはカテーテルから注入することになりました。
これで朝晩苦労して飲ませていた口からの薬の服用はする必要がなくなりました。

飲み込みが悪くなって飲み込めないという判断でした。

2012/7/7 七夕

どこへも出かけられずストレスの溜まっていた妹を連れて、
ショッピングモールへ七夕の笹を買いに行きました。

例年は竹を調達していたのですが、今年は何もやっていませんでした。
家の中で飾ろうと人口の笹竹と飾りを買いました。

家族で七夕の飾りつけ

家に着いてから家族みんなで願い事を書いて飾り付けをしました。
ばばもママも、妹もお兄ちゃんの病気が治るようたくさんたくさんお祈りの短冊を書きました。

2012/7/8(日) 七夕ケーキ

昨晩埼玉から少年団の友達が七夕用のケーキを買って持ってきてくれました。
天の川が描かれていてとてもきれいでした。

七夕ケーキ

本人はそれを見て喜んでいた様子でしたが、
妹が食べさせても、ほとんど食べれませんでした。

2012/7/9 瞳孔が開いてきた

訪問の看護師さんから瞳孔が開いてきていると報告がありました。
普通は2mmくらいなのが、5mm位まで広がったそうです。

逝くのが近い兆候だと告げられました。
この日の最高体温は16:00の39.4度でした。

2012/7/10 とうとう熱が40度に・・・

朝からずっと熱が高く、9:00で39.9度、11:00には40度にまで達しました、
14:00でも39.7度、16:00で39.2度。
18:00になってようやく37度台まで下がりました。

この日はほとんど意識がありませんでした。
このころになると訪問看護は朝晩二回来て下さって、
来ている間は"休んで"と声をかけてくれたものでした。

2012/7/11 冷却マット

未明からまた熱が上がり続け12:00には39.0度まで達しました。
そこからゆっくり体温が下がり、18:00になって37度台へ落ち着きました。

熱さましシートを交換する。座薬を入れる。
熱が下がるように氷枕を換える、冷却マットを換える。

冷却マットイメージ

冷凍庫には常に換えのアイスノンと冷却マットを用意していましたが、
余りに高熱が続くので、十分に冷えきれないことが度々でした。

2012/7/12 意識がはっきりしない

この日体温は7:00の38.8をピークにその前後は37~38度台で落ち着いていました。
高熱が出たり下がったり繰り返し一ヶ月近く・・・

ここ最近は意識も朦朧となることが多く、
こちらの問いかけに反応しないことも頻繁になりました。

2012/7/13 脈が安定しなくなりました

この日の体温は朝方落ち着いていたものの、
昼過ぎに38度を超え、14時ごろには一気に38.9まで上がりました。

そのピークを過ぎると38度台を前後するのでした。

脈の状態に変化があり、
通常100くらい)なのが、一時期130くらいまで上がりました。

堅太朗の手や足はもうほとんど機能しておらず、
もはや血圧も手や足で測定することができませんでした。

2012/7/14 脈拍が200を超え

前日、一時脈が高くなってから落ち着いていましたが、
朝になってまた急激に脈が高くなり、サチュレーションのアラームがピーピー鳴り出しました。

表示を見ると・・・何と脈拍数が200を超えているのでした。
私は目を疑いました。

サチュレーションイメージ

その後訪問ステーションの先生に来て診てもらいました。
先生は堅太朗の状態を確認した後、別スペースに我々を呼び病状を説明しました。

先生の話では血液が全身に行き渡らず、心臓に近いところでぐるぐる回っていて、
血液が狭い範囲をぐるぐる回るため、脈拍数が高くなったというお話しでした。

そして、真剣にもう長くはない・・・
あと2~3日だろう・・・ということを告げました。

今日来た先生は院長の父で超ベテランの先生でした。
今まで同じようなことを何度も告げられましたが、今度こそは本当のようで、
看護師のTさんから、先生の見立てはあたると言われたのを鮮明に覚えています。

体温は3:00の39.0がピークで、その後夜になって36度台まで下がっていきました。

最後のチャンス

まだ意識は完全になくなっていないので、何かするのは本当に最後のチャンスと考えました。

翌日は土曜日で姉家族が来ることになっていました。
熱が下がるタイミングを見計らって、堅太朗が行きたいと言っていたプラネタリウムに連れて行こうと考えました。

プラネタリウムイメージ

今になって想像つきますが・・・

"星を見に行きたい"

と言ったのは、自分の最期が近いのを悟って、
これから自分が行く世界を見ておきたいと・・・
望んだからだと思います。

2012/7/15 薬はやめましょう

残念ながら熱が下がらず、意識もはっきりしないので姉家族と行く予定だったプラネタリウムは中止にしました。
実現できれば、これが最後のお出かけになっていました。

病状を伝え、あきらめざるをえないと姉に伝えたのですが、
それでも横浜から来てくれて、いつものように堅太朗にマッサージをしてくれました。

姉は小学1年と小学4年の従兄弟に、堅太朗の感触を忘れさせないため、
思いを込めて一緒にマッサージをしてくれたのです。
この日は相当長い時間やってもらったのを覚えています。

堅太朗7/15の様子

この日、午前中に来た訪問ステーションのTさんには、
続けていた薬の投与(点滴)はもういいと告げられました。
意識もなくなったので、これ以上何をしても無駄と言われたような気がしました。

今まで忘れたなんので大変だった薬の投与も、
いざ要らないと言われると悲しいものでした。

堅太朗は元気な時は本当に痩せていて、顔も小さいとよく言われたものでしたが、
しかしステロイドの影響で顔がパンパンに膨らみ、口ひげもうっすら見えるなくらい毛深くなってしまい、まるで別人になってしまいました。

哀れでたまらなくなり、涙が止まりませんでした。

2012/7/16 奇跡

この日、意識がなくなりました。
朝、7:00に高熱が39.4度のピークに達してから、
何度、声をかけても全く反応しなくなりました。

夕方、一時サチュレーションのアラームが鳴り出し、
脈拍数が200を超えました。

どこまで脈が上がっていくのか?・・・
このまま逝ってしまうのではないか?・・・

また緊張の瞬間を迎えましたが、
私たちの祈りが通じたのか、脈はしばらくして130くらいで落ち着きました。

16日の様子

その日の夕方の出来事です。

緊張の瞬間から落ち着きを取り戻し、家族みんながベットでホッとしていたときのことです。
体が少しのけぞるように動き・・・

「んっつ」

って・・・うなったのです。

器官切開でしゃべれないはずなのに・・・
残っている力を全部を振り絞り、叫んだ声にも聞こえました。

もうずっと聞いていなかった、懐かしい肉声でした。

意識はもうないと諦めていた私達は驚き、

「けんたろう!」「けんたろう!」「聞こえるよ~」と何度も話しかけました。

しかし、私たちの答えに反応することはなく、
また目をつむって動かなくなりました。

この状態の小児患者を目の当たりにしてきた、
病院の看護士さんも"聞こえていると思う"と話してくれました。

その後、いろんな人の話を聞く中で、このとき意識はないように見えても、
話しは聞こえていたと確信するようになりました。

「堅太朗、パパとママは何があってもいつも一緒だよ!ずっと家族だよ!」

今振り返ると、このときこのような声をかけてあげたかった・・・。
聞けば少しは不安が取り除けたかもしれない・・・。
安心して逝くことができたかもしれない。

そういう言葉を言ってあげるべきだった・・・と後で後悔しました。

夜、訪問ステーションが来たときには、
改めてもうそのときが近づいていることを告げられました。

"着替えや、オムツ交換等・・・、ちょっとしたことをきっかけに脈が下がり逝ってしまうこともあります"

と告げられ、着替えやオムツ交換の度に、サチュレーションのアラームが鳴るのではないか?
その後は緊張しながらの介護になったものでした。

2012/7/17 最期の時

妻はもう最後を悟り、
学校の先生、小さいころからの友人、ママ友達・・・

"今日が本当に最後になるかもしれない"
"会いに来て欲しい"

と関係者にお願いのメールをしました。

私も午後には帰宅し、みんなを迎える手伝いをしました。

午後から学校の先生、妻の友人、同級生、幼馴染、親戚・・・
沢山の人が次から次へと堅太朗に会いに来てくれました。

夕方には玄関で順番を待つ子の列が出きて、
家にはいろんな人がいてぐちゃぐちゃでした。

2012/7/17の様子

昼過ぎからどっと来て気づいたら19:20になっていました。

実家の両親も帰って落ち着いたとき、
着替えやオムツ交換をしていなかったのがとても気になりました。

前日に着替えやオムツ換えが、危険であることを告げられていましたが、

"いくら意識がなかろうと気持ちが悪い状態じゃないか?"

そう私が判断し、妻とババに交換をお願いしました。

交換が終わろうとしたそのとき・・・、
サチュエーションのアラームが急に鳴り出し、酸素レベルが落ち込みました。

この前の交換でもサチュレーション数値は一時乱れましたが、
交換が終わる頃にはまた元に落ち着くので、
大丈夫だろうと思っていました。

しかし、このときは酸素のレベルだけでなく、
同時に脈のレベルも60、50、40、30、20・・・・と下がり続けました。

まさか・・・?

何だか悪い予感がして、
サチュエーションは酸素と脈拍数の両方のアラームがひたすら鳴り続けました。

数値が復活するよう、サチュレーションの数値を祈るように見続けたものです。

しかし、我々の思いむなしく数値は一気に0まで達しました。
0に達した瞬間、堅太朗の顔色が真っ青になり、冷たくなりました。

すぐにわかりました。
"逝ってしまった・・・"

蘇生も考えたのですが、
骨と皮と水分だけになった身体に鞭を入れたいとは思いませんでした。

訪問ステーションに電話を入れている間、
担任の先生と3年生時の先生がちょうど来て、
堅太朗の手を握って医師が来るのを待ってくださいました。
何かの間違いであることを祈って・・・。

19:50頃訪問ステーションのW医師とクラーク、看護師のTさんが来ました。
電話をしてから20分ほどだったと思います。

医師は手でまぶたを開けてライトをかざし、脈を確認・・・
その状態を私たちに説明した後、時計を見て、

「19:59、ご臨終です!」

と告げました。

そのときのことはあまり覚えていません。
妻とばばは涙を流し泣いていたと思いますが、
私はその瞬間なぜか涙は出ませんでした。

"来るべき瞬間が来た"

そう冷静に感じていたと思います。

最後のお風呂

看護師Tさんがなきがらの処置をしようとしたのですが、
無理を言って、最後にお風呂に入れてあげることにしました。

ここ数日、熱と意識がなくなったことでお風呂に入れてあげれなかった。
気管切開で約半年間肩まで風呂にお湯につかれなかった。

"闘病中できたことで、大好きだった風呂にいれたい!"

そう考えて無理にお願いしたのです。

今まで身体を温めることができず、ずっと我慢していましたが、
このときはしっかり肩までお湯につからせてあげました。

本当に最後なので妹も一緒に・・・

最後を家で迎えたことで、大好きなお風呂に入れさせてあげられたのは本当に良かったです。

でも悲しいお風呂でした。

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